双子の妊娠、出産でおきた事、仕事含めおきた事

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はじめに

妊娠出産は100人100通りと言われます。

そのうちの1例、私の体験です。
すごく長くなってしまったので、目次から興味のある部分だけでも…

結婚妊娠までの道のり

二十歳過ぎた頃から子供は3人(男➝男➝女)を希望していました。

ふと出産と育児休暇のスケジュールを立ててみました。
3人子供をうんで産休育休きっちり一年とると、ほとんど仕事に打ち込める期間がない事に気づきます。

30までには1人産まなければ!!

そのまえに結婚してない!彼氏いない!

その時 28歳でした。

たまたま気になる人が現れました。

28歳後には引けない。一本釣りです。

知り合ってから1ヶ月後付き合います。

その2ヶ月後、入籍を果たします。

 

そしてその年の半年後にハワイでの挙式を予定し、
挙式が終われば 子供がいつできてもいい。

30までに1人は出産できる。

 

計画通り。

 

の予定が、

挙式前に妊娠発覚!!

どたばたの妊娠期に入ります。

妊娠に気づく前の兆候

とにかく眠い
からだがだるい
ぽわーんとする

生理は定期的にきちんとくるので、遅れた事により妊娠自体はスムーズに発覚しました。

ハワイ挙式はいわゆる安定期。開催できるかもしれない。と、この時は思っていました。

憂鬱だらけの妊娠

つわりは酷い方であろう(実母がそうだった)と覚悟は決めていました。

5週:外出先のお手洗いで突然の出血、病院へ。

流産かは判定できないけれど、とにかく絶対安静に!と病院で言われます。

デスクワークですが、出血するんじゃないかヒヤヒヤしながら仕事をしました。
トイレに行くのもつい我慢してしまいます。

そして、この事をきっかけに、いわゆる安定期に入るまで普通でいられない(周りに迷惑をかける)と思い、勤務先の上司に報告しました。
食べづわりもある為に、勤務中に食事(フルーツ)等を摂る旨許可をもらいました。

しばらくしてついにつわりが始まり、
毎日毎日会社のお手洗いで吐きました。

6週:出血後の初診察にて 双子判明

双子と判明した途端、大学病院を紹介されました。

7週:大学病院で初診察。具合が悪いなか予約をしたのに3時間位待たされました。
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双子妊娠は自動的にハイリスク出産に。
さらに双子妊娠には3タイプありその中で中位のリスク(MDツイン)と言われる。

そのため、この時点で帝王切開確定となりました。

ハワイ挙式もキャンセルしました。

8週目以降

つわりがとにかくひどくなります。
吐きづわりに
唾液づわりが加わりました。

唾液が大量に溢れてくるので、電話中に唾液がたまり喋っていられない。
飲み込んでいられる量ではないし、
ただでさえ、気持ち悪くて吐く物がなくても吐いている状況です。

タオルをいくつも用意し
電車の中で、タオルを口に当ててそこに唾液を吸い取らせたり、
何度か降りては吐くを繰り返しました。(通勤時間は片道1時間です)

次第に、体調が悪く遅刻して出勤するようになりました。

出勤しても頭が回らず実質1時間も働いていない状況でした。

同僚が、「何なら食べられる?シャーベットなら食べられる?」と気にかけてくれ、あぁこれを食べて吐いたらどうしようと思いながらも、吐かずに完食できほっとしたことがありました。(きっとあの時、きちんとお礼を言えてなかったと思います。ありがとうございました。)

ただ、帰りの人気のない電車の中で日に日に何もできなくなっていく自分が悲しくて泣きました。

双子妊娠の診察は明るいものではなく、毎週毎週リスクを伝えられるので、今回は何を言われるんだろうと精神的にもつらかったです。

しまいには、「染色体異常」「心臓の異常」の可能性を伝えられました。
一卵性の双子なので、遺伝子の病気であれば2人がそうなるとのことでした。

 

年齢に比例して起こる障害の起こりうる係数の上昇をネットでみては、29でもこんなんなのに、30以降にうむなんてこんなに怖いことだったんだと思いました。
(1%で起こる双子妊娠を引いてしまったので尚更不安でした。)

妊娠5ヶ月で産休に

双子妊娠は通常の妊娠より1ヶ月早く、産休がとれます。
でも、私にはここまでがんばれないと思い、仕事を休ませてくださいと上司に相談しました。

わずか妊娠5ヶ月で長い産休に入りました。
通常の産休より前の期間に対しては傷病手当が出たので経済的には困りませんでした。

休暇中は引きこもり、ベッドの上で唾液を垂れ流し、多いときはトイレで10回吐く、そんな日々が続きました。
なので、妊娠しながら仕事を続けている人が世の中に沢山いることに驚くとともに、こうして私みたいに妊娠したからと休暇をとる妊婦がいるせいで、会社の妊婦のイメージを悪化させて、他の妊婦を働きにくくさせてるのでは、と落ち込んでいました。

妊娠中期:つわりからの解放

妊娠中期になりつらかった唾液づわり、吐きづわりから解放されます。
ですが寝たきりが続いたせいか体力がなくなり、
洗濯物干しも一度でにできず、数回に分けて行いました。

妊娠初期に出来た虫歯の治療に少しずつ通いました。
(つわりで水が飲めなくなり、午後の紅茶ミルクティーとオロナミンCしか飲めなくなった私は、この期間で親知らず全て虫歯になっていました。歯みがきもできない状況でした)

妊娠後期:体が痛いところだらけ

妊娠後期のお腹

妊娠後期のお腹

最終的に22kg太りました。
むくみがひどく、足がいたい。
おなかが重く、股関節が痛くなり歩けなくなりました。
むくみのせいか手首のこわばり(痛み)もひどかったです。

お腹かが重く、寝ても起きてしまう、
胎児2人からの肋骨アタックが痛い。

素敵なマタニティフォトがFBで流れると、すごいなぁと思います。
旦那さんと仲がよいことにも、そういうことに体力を使える余裕さも。
(私はいわゆる妊娠ガルガル期でした)

出産

通常は40週で出産(37wから正期産)します。
私は36週の予定帝王切開でしたので、妊娠にうんざりしていた私としては早く解放されるのは嬉しかったです。

帝王切開まで約1週間管理入院することが決まりました。

数ヶ月前まで楽しく仕事をしていたのに、自由に動けない自分にものすごいストレスを感じていました。

帝王切開手術中

総合病院ならではの見物が沢山はいりました。
あとからインフルエンザに罹患していた人がいたとわかりました。
手術後、病室で傷口から血が漏れ出し止まらず、病室内で縫合してもらいました。

高血圧が産後も治らず、病院食は味気ないものが続きました。食べる事しかやることがない状況だったのでこれがとても悲しくて、そして、そんな事で悩んでる自分が悲しくなるという悪循環でした。

産後

双子は1人は通常の産科、もう一人はNICUにいった為、フロアをまたいで授乳をしにいかねばなりませんでした。
別会社のようなもので融通は全くきかず、退院日時も私、長男、次男全てばらばらでした。

授乳は飲んでくれないことに物凄いストレスを感じました。
36wでの早産だったので、心電図をとるモニターが自分の子供だけにつけられていて、子供が泣くと「ピーピーピー」と音を立て皆の視線を集めるのがストレスでした。(NICUではなく産科にて)

ホルモンバランスが大きく崩れたせいかいわゆるマタニティブルーに。

涙がとにかく止まらなくなり、子供を産んだ幸せを感じられませんでした。

※双子親は「マタニティブルー」になりやすいと言われているようです。
体、精神にかかる負担が妊娠、出産、育児すべて倍になるため。

育休中

首や腰が座らない子供が2人存在する状態はかなり不便でした。
1人で2人を連れて近くの公園にでられるようになったのは生後7ヶ月頃。

単胎さんの出産育児をFBなどで見ては
違いに驚き憂鬱に。

そのせいかFBは見なくなり、双子親にしぼってTwitterでフォローするようになりました。

出産のかなり前から休んだので、復帰は早めにと考えていました。
子供が生後6ヶ月の時を予定していましたが、キリがよい4月入園&復帰(1歳2ヶ月頃)にしたいと延期しました。

ただでさえ成長の遅い双子、生後6ヶ月で復職したとして、自力で立てない、歩けない2人を雨の日、自転車に乗せて、(別々の)保育園に連れていけたかと考えると謎です。

そして、産後2ヶ月で再開した生理の出血量がすさまじく、30分毎にお手洗いにいっても間に合わないのではという量だったので、この時期復職しなくてよかったと思いました。(産後1年で落ち着きました)

復職に向けての保活(保育園活動)では

フルタイム、双子でポイントは悪くなかったはずですが、落選。

4月の復職ができなくなりました。(『日本死ね』の気持ちよくわかります)

自分の住んでいた区に見切りをつけ、ライバルが少ない情報をつかんだ地元に帰ることにしました。

この時家の購入と、その地区での保活を並行し、無事認証保育園に2人が入ります。

認証保育園に入ってもその月中に復職しなければならないという決まりはないので、子供を預けながら、残り少ない自分の時間を有効に使うことにしました。(簿記2級もこのときに取得しました)

最終的に双子は転園を何度か体験します。

双子兄 認証保育園→認可保育園A(近い)
双子弟 認証保育園→認可保育園B(遠い)→認可保育園A(近い)

子供1歳6ヶ月で復職しました。

復職

休んだ分しっかり取り戻そうという気持ちはあっても

長期不在(休暇)
時短勤務
ゆえに仕事はありませんでした。(もちろん、会社が悪いとは一切思いません)

実際復職した2日目に保育園から呼び出され、

双子は1人が感染症にかかれば5日は休む必要がある上に、時間差でもう一人にうつります。取引先と関わる仕事は到底無理かと思います。

保育園の迎えの時間に間に合わないのでフルタイムにも戻れない。

転職

働き方を考え直し、
いざというときに自宅でも作業できる仕事を考えはじめ、システム開発会社(猫のいる会社)に転職しました。

転職できる機会があったことはラッキーでした。
乳児2人の30代未経験の主婦なんてそう簡単に雇ってもらえないでしょう。

 

そして、少しずつ周りの環境が整っていき育児や生活がラクになっていきました。

・朝の時間にゆとり

前職では、時短で出社は10時でした。
保育園は8:30以降(※なぜか当時の認可保育園は厳しく7:45〜あいているのにもう1つの認証保育園が9時からなら8:30以降で間にあいますよね!という対応でした)に連れて行かねばならない、連れていく保育園は2箇所、電車遅延が5分でもあると間に合わない!(時短&簡単な仕事している分際で遅刻は社内で最高に気まずい。)

この状況がなくなりました。

・子供2人同じ近くの保育園に
・実母の仕事が週3になり、いざという時に見てもらいやすくなった
・子供の病気で休んでも、家で少しは仕事ができる
・自分の趣味を楽しむ時間ができる

それでも
双子の誕生日が近づくと

毎年憂鬱になりました。

妊娠出産で起きたことを思い出し、落ち込む。
子供の誕生日にお祝いの気分にならずに毎年落ちる自分にさらに落ち込む。

これが3年間続きました。

個人事業開業

会社が移転する(遠くなる)事をきっかけに、
自分の今後を考え、双子の4歳の誕生日に開業しました。
(ちなみに、会社員をやりつつの開業です。ダブルワークです)

他の事に意識を向けられるようになったのか、
4年たってやっと、双子の誕生日に憂鬱にならずにすみました。

これで、私の妊娠出産のトラウマは成仏できました。

まとめ

■妊娠は計画的に。

特に女性は。
もちろん欲しいと思った時にすぐ授かるわけでもないのでそれも含めて計画的に。

■妊娠しても仕事をやめないで

妊娠しても仕事を辞めないほうがいいです。
経済的に。

■旦那さんはどこにいった?

旦那さんは妊娠することができません。
だからといって、結婚前と何も変わらない生活を送るのはやめましょう。
妊娠出産期の旦那さんの行動は本当に記憶に残ってます。(いい意味でも悪い意味でも)

■いつか子供を産もうと思っているなら

早いうちがオススメです

■障害の可能性をいわれても

可能性がある以上妊婦に伝えなければいけないらしいので、
だいたいは大丈夫、問題なかったで済むそう。

■育休は1年しっかりとっていいと思います

短いと体調が戻っていない可能性があります。

■結局子供ってどう?

たまに最高だけど、イライラさせられる事の方が多いことは確実。(部分強化)

出産した大学病院について

妊娠中、入院中はほぼ鬱状態だったかもしれません。
先生に何を言われても悪くとる、そんな状態だった気がします。

こうして、時間がたってみると、あぁ、ほんとうにその通りだな、とストンと腑に落ちたりしました。

例えば、

先生「お母さんはゴロゴロしてください」

妊娠期「くっそーこっちは働きたいんだよ、仕事してんだよ。(つわりで何もできない)この体、どうにかしてくれよ。何のために病院きてんだよ」
な感じでした。

今では、「はい、その通り」と思ってます。赤ちゃんとお母さんの命を守るために最善を尽くしてくれてるんですよね。

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